5.逃げる魅力

こんにちは、Takuyaです。

僕の年末までの目標は

この無料ブログ配信を通して

皆さんが

『生きるって、学びだな。楽しい。

嬉しい。心穏やか。』

そう思える時間が、増えること。

まずは、

今年が終わる最後の日に

そうなっていることを

目指して発信するこのブログ。

今回は、

逃げる魅力』について

実体験を元に、お話します。

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人生、逃げることが

いかに大事かを学んだのは

新卒で働いた10年前です。

学生の僕は今よりさらに

フレッシュで、ナイーブすぎて。

働くの、楽しみだな!と

ただ、夢馳せる若者です。

就活で感じたことを

鵜呑みにした部分も多いし

人事の方々が

『人を大切にする』と言うなら

割とそうなんだと思っていたし

内定先の社員インタビュー動画で

イキイキした表情の社員さんを

見て、自分もそうなる未来を

想像していました。

…ナイーブすぎるわ!笑

そうして、

ピュアな期待で胸膨らませて

配属先の部署にいくと

社員インタビュー動画で

イキイキしていた社員さんは

ガリガリに痩せ細っていて

職場も重めの雰囲気でした。

それから、

配属先の部署で働いて1ヶ月後

 

朝7時に会社寮を出て

翌朝の4時に終業する毎日

7日間、続けることに。

朝、帰ってきて

シャワーを浴びたら

睡眠時間は、約1時間

連日、繰り返すのはきつかった。

物流系の会社だったのですが

イレギュラーなトラブルで

海外の輸入品を包装する人手がなく

部署の社員総出で、倉庫現場に行き

明け方まで、包装をしました。

流石に連日続くと

作業中、眠気で倒れそうになるのを

ストレッチやジャンプをして

眠気を飛ばしたりしました。

7日目、最終日の24時

先に帰宅する一部の社員と

僕も帰ろうとした時

配属先の部長に大声で止められます。

「まだおれるよな!?な!!」

僕はしばらく黙っていましたが

帰らせてもらえる空気ではなく

そのまま朝4時まで

作業を続けるしかなかった。

その後、帰ると思いきや

事務室で、1時間打ち合わせ。

手をつねり、眠気を飛ばし

会議が終わりました。

やっと帰れる、そう思った時。

直属の上司が、遠くを見ながら

僕だけに、ボソッと早口で一言。

「2時間後、お前1人で

 千葉の倉庫に向かって。」

自分の心が、折れた音が聞こえた。

あ、だめだ。

その時、

隣にいた8年目の社員Aも

その上司に、流石に言います。

「あんた…本気で言ってんの?」

「うん、本気。」

上司は遠くを見て一言。

僕は打ちひしがれ、放心する中

皆、帰る支度をしています。

すると、課長が

「タクシーを出すから、一緒に帰ろう」

と声をかけてくれたので

支度をして

課長を待っていると

…来ない。待っても待っても。

僕のことを忘れ、先に帰ったのが

後で、分かりました。

ボロボロになった僕を見て

気を遣った社員Aがタクシーを呼んで

社員Bさんと一緒に乗せてくれました。

ただ、車内も辛かった。

僕は、放心状態でしたが

社員さん同士が

『その会社で働く辛さ』

を語っていました。

まるで、僕に向けて

「みんな辛いよ。

 大丈夫だよ、一人じゃないよ」

と慰めるかのように。

僕は、それも辛かった。

自分の将来って、もう

ずっとこうなんだ、と感じて。

さすがに辛すぎて

会社寮に着く前に、タクシーを

早めに降ろしてもらいました。


外は、大雨で

びしょ濡れになって歩くと

自分の人生がばからしくなり

自然と涙が、止まらなかった。

自分の部屋についた途端

四つん這いになって

大声で泣いていました。

気づけば

母に電話していました。

どうしたの!!!」と、母。

もう、だめだ…。

 もう、辞めたい…。」と、僕。

なのに、

辞めよう!」と母に言われても

僕は頷けませんでした

僕「いや、色々任されてるし

  おれしかいないし…。」

母「いいの!会社は回るのよ!

  なんとかなるから!!

  会社がどうとか

  言ってる場合じゃないの!

  それであんたがこんなに

  ボロボロになって

  何の意味があるの!」

僕「でも…こんな何もできないおれが

  他の社会で、会社で、必要となんて

  される人間なのか、自信ない。

母「大丈夫!絶対なんとかなる!!

  絶対なるから!!!」

その母の言葉で僕は

会社を辞めることを決意。  

今思えば、

逃げても道はあるよ、と

母に教えてもらったあの時。

僕の人生が、変わった瞬間でした。

それから、2年間弱は

その会社で働きました。

その日から、仕事終わりに母とは

毎日電話し、進捗を伝えていました。

それから退職するまでの2年弱も

落ち込むことがあったように思います。

まず、翌朝まで働いた月末に

部長に、呼び出されました。

タイムカードに、正直な労働時間を

書いたのが、いけなかったようです。

みんな、残業は

50時間以内で収めているから

正直に書いているのはまずい、と。

その時、僕は納得がいかなすぎて

正直な労働時間で、押し切りました。

ある別の日には

別の上司が体調を崩したので

代わりにカバーをしたら、翌朝上司が

「このお客さん、もうできるよね?

 代わりにやって」と

こそっと引き継ぎされた

時もありました。

僕にどの仕事を引き継ぎされたのか

他の社員も把握は

していなかったようでした。

ただ、僕も働いてみて

いかに自分に合っていない

苦手な仕事かに気づきました。

『人の顔を見て感謝し合える対話』

を求めた僕には

黙々、淡々と作業をこなすような

『運ばれて当たり前

 トラブルあると非難がくる』

そんなこなす書類業務が

とても苦手でした。

日々、自分のできなさに

心から嫌気がさし

「自分はなんてダメなんだ」

と思いすぎて

うつっぽくなると

余計ミスが増えるんです。

こんなことすらできない…自分は

と、自分の虚しさに

涙がでてしまう感覚です。

周りの部署の皆さんには、本当に

迷惑をかけてしまったと思います。

特に直属の上司や、係長には

心配も、気遣いもさせたと思います。

本当にすみませんでした。

でも、ありがとう、も伝えたいです。

本格的に辞める前に

人事にも相談をして

会社の中で解決できることかも

確かめましたが

結局、退職しました

会社を辞めた日から…

驚くほど世界が、輝いて見えた。

それから…前向きになれた

「レールは、とっくに外れてる。」

辞めたからには、本当に

 やりたい事を突き詰めよう。」

そうして、

僕は好きで得意な仕事を

探し、見つけていく。

僕が、この体験から学んだのは

まず、逃げてもいい』ということ。

マイナスな環境下で考える『思考』は

マイナスな未来ばかり作ります。

プラスな環境へ変えたから

プラスな思考が増えたんです。

でもそれは、逃げられたからで

人生を変えたあの『逃げ』の道を

教えてくれたのは、です。

ありがとう、母さん。

いじめの時みたいに

人生、立ち向かうばかりじゃない

Because I left there, I found here.

逃げて初めて、見えた道がある

そう、感じた実体験でした。

ここぞという時の『逃げ』ほど

大事なものはないですから

皆さんも、逃げたっていい。

自分を、大事にしてください。

さて、退職後。僕はそこから

どう英語教師となったのか。

 

次回は

僕の、好きで得意な仕事の見つけ方

です。お楽しみに。

Thanks for reading.

(大事な時間、ありがとうございます。)

Takuya

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